「お母さんらしさ」の有効期限

雑誌を見ていると、こんな記事が目に入った。

「子どもがいても、お母さんらしくなったねって絶対に言われたくない。」

なるほど……

「お母さんらしく、ママらしくなる」という言葉は、今はタブーなのか……。

4人の子どもを育てが終盤にさしかかっている私にとって、ここ最近で一番驚いたことである。

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素敵な女性とは

お母さんらしさの裏側

雑誌に出ていた「お母さんらしくなったと言われたくない」を紐解いてみると、ヒールの高い靴を履いたり、皮のジャケットを格好良く着たり出来なくなるという、悲しみの声が含まれている様だった。

実際、子どもが小さい頃は、抱っこしたり、子どもの後を追いかけたり、よだれがついたり……自分のことを気に掛けるゆとりがなくなる時期はある。

追われる様に毎日を過ごし、子どもを寝かしつけてそのまま寝落ちしてしまう自分のゆとりのなさに、悲しくなってしまうことだってある。

雑誌やSNSでは、お洒落に子育てを楽しんでいる人たちがたくさんいる様に見えてしまうのかもしれない。

けれど、お母さんらしくなることは、本当に悲しみを伴うのだろうか……?

らしさとは

「らしさ」「らしい」という言葉を辞書で引くと、意味の一つに「名詞について、〜としての資質を十分に備えている。〜と呼ぶにふさわしい。と書いてあった。

つまり、「お母さん」としての資質を十分に備えている=お母さんらしさ

ということになる。

お母さんらしいひと

妊娠中から出産が近づいてくると、夜ぐっすり眠れなくなり、産後の授乳やオムツかえに向けて、からだが短い時間で覚醒する様に変化したり、母乳が出たりするなどの変化も「お母さんらしさ」である。

また、子どもが自立して生きていく力を身につけるために教え育んでいくという役割を担う「お母さんらしさ」もある。子どもがご飯を食べ、歩き、安全に楽しく生活できる知恵と技術を教えていくのは、重要で大変な役割である。

言葉の意味から、お母さんらしさを考えると、子どもに関わる全ての人が、身体の変化や役割において、お母さんらしいということになる。

役割

役割もいつか終わりがくる

「お母さんらしくなったと言われたくない」というは、お母さんらしくなったことに悲しみを感じているわけではなく、周りに振り回されて自分自身を見失っていることへの悲しみなのかもしれない。

わたしもお母さんという役割や日々の忙しさに飲み込まれそうになることも、よくあった。

子どもたちが自立するまでは、母の役割がなくなるわけではないし、ある程度成長するまでは、役割の比率が大きい時もある。でも、それはずっと続くものでもない。お母さんらしさにも、有効期限があるのだ。いつか終わってしまう役割だからこそ、楽しいことも辛いことも、しっかりと味わっておくことが、その後の人生をより豊かなものにしてくれると思っている。

自分の人生を生きる

わたしは決して「お母さんらしい」と言われるお母さんではなかったし、4番目の子どもが7歳の時に単身で1年ニューヨークに行くことを決めた時は、「子どもたちが可哀想……。」「愛情不足になるよ。」と心配して反対してくれる人も多かった。でも、周りにお母さんらしいと言われようが、お母さんらしくないと言われようがそれはわたしの人生の一部分であり、自分で責任を取っていくしかないのである。

ニューヨークに行くと決めたら、まずは、子どもたちを日本に置いて行くためには何が必要かを考えた。

子どもたちが心配なく日本で過ごせるために、洗濯の仕方、買い物の仕方、刃物や火の使い方などを教えることから始めたが、7歳になる頃には、ひとりで家事全般はできるようになった。

子どもがいるからという理由で、ニューヨークに行かないという道もひとつである。

ただ、わたしの人生において、やらない理由、できない理由を子どものせいにすることの方が、何より悲しいことだと思った。

こうしてわたしは、できる限りの準備を済ませ、ニューヨークへと旅立った。

ニューヨークで出会った素敵な女性たち

お洒落の目的

ニューヨークに行くまでは、わたしも、子どもと一緒のときでもお気に入りのハイヒールで街を歩き、皮のジャケットやマフラーをして出かけることに、なんの疑問も感じたこともないようなひとだった。ニューヨークに行くときも、せっかくだから、自分が一番気に入っている服を着ようと意気込んですらいたくらいだ。

いざ目的地に着いたとき、お迎えに来てくれたひとに言われた第一声は

「いますぐ、スニーカーに履き替えて!あなたは、何かあった時に走って逃げられるの?」だった。わたしは、すぐに靴を買いに行かされ、お気に入りの服にスニーカーという、その時のわたしにとっては残念な格好でニューヨークでの生活がスタートした。

ニューヨークには色々な人がいて、それぞれの価値観があり、それぞれを主張している様な街だった。何が目的なのか?どうしたいのか?意思をハッキリともって行動しているんだなぁと感じる日々だった。食べるものも、着るものも、人間関係にも……。

どうしたいかは自由

クリスマスが近くなったある日、師匠が毛皮の専門店に連れて行ってくれた。わたしにマフラーをプレゼントしてくれるというのだ。嬉しくて、店からそのままつけて帰ったのだが、モサモサした毛皮のロングコートを着ている師匠は、ご機嫌そうなわたしにサラリと一言忠告してくれた。

「ニューヨークの冬は寒くてね、毛皮のコートを着ている人も多いけど、動物愛護の価値観を持った人からペンキをかけられることもあるから、気をつけてね!」

わたしは一瞬迷ったが、「ご忠告ありがとうございます。」とお礼を言って、マフラーをそっとバッグにしまった。

お洒落な時もそうでない時も楽しく

自分の意思をもつ

安全な国の日本では、「いつでもオシャレで素敵な女性」でいることが大切なことだった様に思う。

しかし、ニューヨークでは「お洒落をする時と普段の生活に違いがあることは当たり前」なのである。それは、子どもがいようと、そうでなかろうと……。

そして「お洒落とは自分自身を表現する手段のひとつ」であり、人にどう見られているかということよりも、「わたしはこうしたい!」という意志を表現するものだった。何かをするための手段のひとつであるため、目的意識もハッキリしていた。

だからこそ、お洒落をしていてもしていなくても、自分で選択したことを堂々と楽しんでいるように見えたのかもしれない。

自分で選ぶ

わたしは、毛皮を身につけてペンキをかけられることよりも、寒い方がまだいいという選択をし、師匠は寒いくらいならペンキをかけられるほうがまだいいという選択をしただけのことで、どちらが正しいとか正しくないではないのである。

普段はお化粧も薄く、着ているものはコットンのシャツにGパン。それなのに、パーティの時は見違える様な美しさと誇らしさをみせるニューヨークの女性たちは、見惚れるほどのかっこよさだった。

彼女たちは、普段着の時は普段着で出来ることを目一杯楽しみ、パーティーの時はパーティーで出来ることを目一杯に楽しんでいる。

自分で選んだことに後悔することだってもちろんあるだろう。しかし、役割も含めて自分らしく生きている女性はとても魅力的で、凛として潔く、そして豊かな女性性を感じさせた。

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この記事を書いた人

・看護師資格取得後、助産師学校にて学ぶ。

・3人の女の子、1人の男の子の母として、出産育児を経験。

・介護・障害者の認定調査員として各家庭を訪問する中で
健康で生き生きとした大人が増えるにはどうしたらいいだろうと考え
国民皆保険ではないアメリカに渡る。
NYで、若い頃から自己メンテナンスする習慣が身に付いている様子に
感銘を受け、メディカルマッサージを学び、帰国。

・鹿児島の東シナ海が見えるサンセットビーチに
ボディケアと薬膳スープなどを提供する癒しのカフェをオープンさせる。

・看護師時代に、心療内科にて心身相関について目の当たりにし
体だけでなく、心のケアの重要性を知る。
4nessコーピングを学び、基礎講座・男女ストレス講座
キッズコーピング講座の講師資格を取得。

・アフェクティブバストセラピスト、たつのゆりこフェムケアアンバサダー
として、女性のライフサイクルにおける心と体の変化に寄り添い、
ケアやカウンセリングをおこなっている。

・大切にしていることは、愛・尊重・思いやり。

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